大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3337号 判決 1973年5月10日

原告 三洋服装株式会社

右代表者代表取締役 山村勅雄

右訴訟代理人弁護士 片平幸夫

被告 伊藤株式会社

右代表者代表取締役 伊藤雅江

右訴訟代理人弁護士 戸田謙

同 伊藤広保

同 山口元彦

同 青木亮三郎

同 鍋谷博敏

主文

1  原告と被告間の東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第一〇〇五四号事件の和解調書に基づく被告の原告に対する強制執行はこれを許さない。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  本件について当裁判所が昭和四七年四月二〇日になした強制執行停止決定はこれを認可する。

4  前項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一、二項同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告間の東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第一〇〇五四号賃料値上請求事件について、昭和四六年四月一二日裁判上の和解が成立し、その和解調書中には次のような条項がある。

(1) 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を次の約定で賃貸する。

(イ) 用法 店舗および事務所

(ロ) 賃料 一か月金一〇万五、〇〇〇円

(ハ) 期間 昭和四六年四月一日より昭和四九年三月末日まで満三年

(ニ) 本和解条項に定める事項以外については被告と原告との間の東京法務局所属公証人村上達作成昭和四二年第四〇八六号賃貸借契約公正証書の定めるところによる。

(2) 前項の公正証書第七条により原告が被告に差し入れた敷金四六万円のうち、同公正証書第六条による金一一万六、〇〇〇円を被告が償却費として取得することを原告は承認する。

(3) 原告は被告に対し、第一項の賃貸借の敷金として金五二万五、〇〇〇円(五か月分の賃料相当額)を交付するものとし、うち金三四万四、〇〇〇円については第二項により償却費を差し引いた残金をもってこれに充当し、不足額金一八万一、〇〇〇円につき、原告は被告に対し、昭和四六年五月末日限り金八万四、五〇〇円、同年六月末日限り金八万四、五〇〇円、同年七月末日限り金一万二、〇〇〇円あて分割して支払うこと

(4) 本件建物部分の昭和四四年九月一日以降昭和四六年三月末日までの賃料については次のとおりとする。

(イ) 原告がすでに供託している分(一か月金七万四、五〇〇円)については被告において供託金の還付を受けること

(ロ) 右のほか、原告は被告に対し、差額分として合計金五七万九、五〇〇円(一か月金三万五〇〇円)につき、昭和四六年七月末日限り金七万二、五〇〇円、同年八月から昭和四七年一月まで毎月末日限り金八万四、五〇〇円あて分割して支払う。

(5) 原告が第三項および前項(ロ)に定める割賦金の支払を一回でも怠ったときは第一項記載の賃貸借契約は当然解除となり、原告は被告に対し本件建物部分を明け渡すべきこと

2  ところが、原告は前記和解調書第四項(ロ)所定の昭和四七年一月支払分の従前の賃料と値上分の賃料の差額割賦金八万四、五〇〇円(以下「本件割賦金」という。)につき、後記4、(1)記載のとおり、すでにこれが支払を了しているものと誤解していたため、その支払期日である同月末日までにその支払をしなかった。

3  そこで、被告は右和解調書第五項に基づき、原告の本件割賦金の不払により同調書第一項記載の賃貸借契約は当然解除になったとして、同調書に執行文の付与を受けたうえ、昭和四七年四月一九日本件建物部分に対し、家屋明渡の強制執行手続に着手した。

4  しかし、右の強制執行は信義則に反し、権利の濫用にあたるものであり許さるべきではない。その具体的事情は次のとおりである。

(1) 原告が前記2記載のとおり、本件割賦金の支払をしなかったのは、故意によるものではなく、原告において前記和解調書の記載を誤解したことに基づくものである。

すなわち、原告は同調書の定めるところに従い、昭和四六年五月から同年一二月まで同調書第一項所定の賃料および第三、四項所定の割賦金月額合計金一八万九、五〇〇円を毎月末日までに支払ってきたが、賃料金一〇万五、〇〇〇円については同調書第一項(ニ)記載の公正証書の定めにより翌月分を前月の月末限り支払うこととなっていたところから、同調書第四項(ロ)記載の賃料差額割賦金の支払期間である昭和四六年八月から昭和四七年一月までとある条項を昭和四七年一月分と誤解し、前月支払分である昭和四六年一二月末日の右割賦金の支払により、翌月支払分である本件割賦金の支払を了したものと誤解し、同年一月末日には本件割賦金の支払をせず、同月から同年三月までは各月末に前記和解調書第一項所定の賃料として金一〇万五、〇〇〇円のみを被告に対し、支払った。

(2) 一方、被告は原告の事務員が昭和四七年一月末日に右賃料金一〇万五、〇〇〇円を持参した際に、本件割賦金が不足している旨を注意することもせず、同年二月末日、三月末日に右同様原告の事務員が賃料を持参した際にも異議なくこれを受領していたものであり、原告と被告はその社屋が同一地番に所在し、隣り合わせの関係にあるのに、被告は原告に対し、本件割賦金の支払について事の次第をただすこともなく、同年四月一九日突如として同月一八日付内容証明郵便をもって本件割賦金の未払があるとして、本件建物部分の明渡を通告し、同日前記のとおりの強制執行手続に着手するに至った。

(3) 原告代表者は右内容証明郵便による通告により、初めて前記和解条項の記載を誤解していたことに気付き、右同日即刻本件割賦金として現金八万四、五〇〇円を持参して被告方に赴き、被告代表者に対し、これが受領方を懇請したが、これを拒否されたため右同日右金員に遅延損害金を付して東京法務局に供託した。

(4) 原告は被告より昭和四二年七月に本件建物部分を賃借して以来、賃料の支払を一回たりとも遅滞したこともなく賃借人としての義務を誠実に履行していたものである。

(5) 原告は本件建物部分において、洋服、洋品業を営み、同所は、代表者以下従業員一〇名、洋服仕立職人一一名からなる営業の本拠となっているものであり、これが明渡執行によって蒙る損害は甚大である。

5  よって、原告は本件割賦金不払を理由とする前記和解調書に基く強制執行不許の裁判を求めるため本訴に及んだ。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告が本件割賦金の支払をしなかったことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は認める。

4(1)  同4、(1)の事実のうち、原告が本件割賦金の支払をしなかった理由は知らない、その余の事実は認める。ただし、被告が昭和四七年一月から同年三月まで各月末に原告から受領した金一〇万五、〇〇〇円は同年二月分から四月分までの賃料相当損害金として受領したものである。

(2)  同4、(2)の事実のうち、被告が原告主張の日に、その主張のような内容証明郵便で本件建物部分の明渡を通告し、同日その主張のような強制執行手続に着手したことは認める。

(3)  同4、(3)の事実のうち、原告がその主張の日にその主張のような供託をしたことは認める。

(4)  同4、(4)の事実のうち、原告がその主張のころから本件建物部分を被告より賃借していることは認めるが、その余の事実は否認する。

(5)  同4、(5)の事実のうち、原告が本件建物部分において、その主張のような営業をしていることは認めるが、その余の事実は知らない。

5  原告と被告間の前記事件について、前記のとおり裁判上の和解が成立するに至るまで約一年半も要し、その間、五回の口頭弁論、一〇回の和解のための話合いがなされたが、このように解決まで長期間を要したのは、原告の賃借人としての不誠実な訴訟引延しに起因するものであり、しかも被告は、滞納賃料等の支払につき、大巾に譲歩して割賦弁済にすることに同意したため、特に右和解にあたっては、原告が右割賦金の支払を一回でも怠ったときは被告と原告との間の賃貸借契約は当然に解除になる旨の条項を挿入することを主張し、原告もこれに同意するに至ったものであり、これらの和解成立の経過にあわせ、たとえ、被告が本件割賦金の不払につき原告に注意ないしは催告をしなかったとしても、被告には右のような注意ないしは催告をする義務はないのであるから、被告が、右和解条項に従って、被告と原告間の賃貸借契約が当然解除になったとして、本件建物部分の明渡の強制執行に及んだのは正当な権利の行使であり、権利の濫用となるものではない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告と被告間の東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第一〇〇五四号賃料値上請求事件について、原告主張の日時に裁判上の和解が成立し、その和解調書中に原告主張のような条項があること、原告が本件割賦金をその支払期である昭和四七年一月末日までに支払わなかったこと、そこで被告が請求原因3記載のとおり右和解調書に執行文の付与を受け、昭和四七年四月一九日本件建物部分に対し、家屋明渡の強制執行手続に着手したことは当事者間に争いがない。

二  ところで、原告は右強制執行は信義則に反し、権利の濫用にあたるものであり許さるべきではない旨主張するので、この点について検討する。

≪証拠省略≫によると、次の各事実を認めることができる。

1  原告代表者は前記和解調書の定めるところに従い、昭和四六年五月から同年一二月まで毎月末日に同調書第一項所定の本件建物部分の賃料金一〇万五、〇〇〇円、同第三、四項所定の敷金ないしは賃料差額割賦金八万四、五〇〇円合計金一八万九、五〇〇円あてを被告に支払ってきたが(以上の事実は当事者間に争いがない。)、昭和四七年一月末日に支払うべき本件割賦金については、もともと本件建物部分の賃料が昭和四二年七月からの被告との賃貸借契約に基づき翌月分を前月の末日に支払う約定であったことから、本件割賦金の支払も前月末である昭和四六年一二月末日の支払によりすでに支払ずみであり、したがって前記和解調書第三、四項に定める割賦金の支払はすべて完了したものと感違いし、昭和四七年一月末日には同調書第一項所定の同年二月分の賃料として被告方に原告会社事務員をして額面金一〇万五、〇〇〇円の小切手を持参させ、右事務員はこれを被告代表者に交付したこと

2  一方被告代表者は右小切手の裏面に原告の押印がなかったことから右事務員に依頼して押印して来てもらったほかは本件割賦金の支払が不足していることなどの注意をすることもなく従前どおり異議なく右小切手を受領し、その後原告代表者において昭和四七年二、三月の各月末に同年三、四月分の賃料として被告方に前記事務員をして前同様それぞれ額面金一〇万五、〇〇〇円の小切手を持参させ右事務員はこれらを被告代表者に交付していたが、被告代表者はその都度右事務員に対し、「確かに受け取りました。ご苦労さま。」などと述べ、格別の異議なく右各小切手を受領していたこと

3  原告代表者は前記のとおりの小切手による賃料の支払(その趣旨は別として右のような支払いがあったことは当事者間に争いがない。)について被告代表者がこれを異議なく受領しており、また、原告と被告はその社屋が同一地番に所在し隣り合わせの関係にあるのに、被告よりなんらの注意等もなかったことから、前記和解調書に記載されている義務の履行は別に問題はないものと考えていたところ、昭和四七年四月一九日突如として被告より同月一八日付内容証明郵便により前記割賦金の未払があるとして本件建物部分の明渡の通告を受け、(右同日右のような通告があったことは当事者間に争いがない。)、右同日前記一記載のとおりの強制執行を受けるに至ったこと

4  原告代表者は右明渡の通告を受け、初めて前記のような感違いに気が付き、同日直ちに前記未払の本件割賦金として現金八万四、五〇〇円を持参して被告方に赴き被告代表者に対し事情を説明したうえこれが受け取り方を懇請したものの、これを拒否されたため、右同日右金員に遅延損害金を付して東京法務局に供託したこと(右供託の事実は当事者間に争いがない。)

5  原告は昭和四二年七月から被告より本件建物部分を賃借していたが(以上の事実は当事者間に争いがない。)、その間賃料の不払等をめぐって格別の紛争がおこったこともなく、ただ、昭和四四年九月従前の賃料についての値上の話合いがつかず被告より前記訴訟が提起されるに至ったが、右訴訟で月額金一一万四、〇〇〇円の鑑定がなされ、結局前記のとおりの和解が成立したが、右和解が成立するまで、原告において種種の要求をなし、結果的にはかなりの和解期日を要したが、これをもって直ちに原告が不誠実な賃借人であると断ずることもできないこと

6  原告は本件建物部分において洋服、洋品業を営み(以上の事実は当事者間に争いがない。)、同所は代表者以下社員一一名が同所で稼働する営業の本拠となっていること

以上の事実を認めることができるのであって、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところで、前記和解調書第五項によれば、原告において本件割賦金の支払をその支払期日に遅滞したのであるから被告は右和解調書に基づき本件建物部分に対し明渡の強制執行をなすべき権利を取得したものといわなければならないが、右権利は信義則に基づき権利の濫用にわたらないよう行使すべきであるところ、前認定のように原告が本件割賦金の支払を失念したのは全くの過失であって他意はなく、被告も本件割賦金の支払期日である昭和四七年一月末日に同年二月分の賃料のみを持参した原告従業員に格別の注意も与えず、その後も原告が同年三、四月分の賃料として支払う小切手を異議なく受領し、原告と被告は前認定のような近隣関係にあるのに原告に右不払についての事情をただすこともせず、その後突如として明渡の通告および強制執行をなすに至り、右通告により自己の過失に気が付いた原告代表者が直ちに被告方に赴き事情を説明したうえ持参してきた前記未払割賦金の受領方を懇請したのに被告においてこれを拒否するに至った経過にあわせ、前認定の原告は本件割賦金の支払を遅滞したほかは前記和解調書上の義務も誠実に履行していたこと、従前からの賃貸借関係についても賃料値上の紛争を除いてはこれが賃料の不払等をめぐって格別の問題もなかったこと、また前認定のような原告の本件建物部分の使用関係に照らすと、これが明渡執行によって受ける原告の損害は少からざるものが予想されることをも総合すると、被告の前記強制執行についての権利の行使は信義則に反し、権利の濫用として許されないものというべきである。

三  そうすると、原告に本件割賦金の不払があったことを理由とする前記和解調書に基く強制執行不許の裁判を求める原告の本訴請求は理由があるから正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、強制執行停止決定の認可およびその仮執行の宣言につき同法第五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松村利教)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例